先月東京出張の際に訪問したシンポジウム。
「近年における都市景観デザインに関する日伊両国の貴重な事例を紹介します。
二国の都市景観 デザインをめぐる背景に対する評価をもとに、既存の景観を再構築する上で、
過去から受け継がれてきたイメージがもっ ている意味合いの継承と
現代の価値観の変革とのはざまにあって、建築が果たす役割について議論します。 」
日本からは
磯崎新(午前中はスタッフの方が代理出席)、隈研吾、槇文彦
イタリアからは
アントニオ・チッテリオ、パオロ・デシデーリ、フランコ・プリーニ
また
統括コーディネーター:アルベルト・クレメンティ(キエティ・ペスカーラ大学)
シンポジウム・コーディネーター:フランコ・コルシコ(トリノ工科大学)
リヴィオ・サッキ(キエティ・ペスカーラ大学)
午前中の各先生の講演の後、昼からはパネルディスカッション。
今回は午前中のみの参加でした。
で、興味深い話をまとめておくと…
□ サッキ氏
イタリアと日本は非常に似ているということ。
なぜなら海に囲まれ、島や山が多く火山もある。
日本の天然資源といえば水だが、伊もアルプスからの水が豊富。
外国語が苦手で、古くからの文化が現代のコヤシになっている。
伊は大陸とつながっているもののアルプスがあり、大陸との接点は少ない。
伊は政治的・社会的・文化的に「島」といえる。
大戦後、貧乏で多くの街が破壊された。
人口が爆発的に増加し、田舎から都市へ流入した。
ここからが少し違った方向を歩み始める。
日本:100%新しいものを取り入れる。
中心のない都市構造
中心は自然景観=公園(皇居など)〜ロンドンやニューヨークと同じ
伊 :近郊都市の劣悪な都市整備が中心部の歴史的都市景観の大切さを気づかせた。
巨大なスケール感のインフラ(高速道路など)を都市内に引き入れるのを拒んだ。
おかげで現在も効率は悪く不便な都市である。
中心には政治的・宗教的権力
ここ2〜3年東京とイタリアの都市景観が似てきている。
□槇氏
・出雲歴史博物館について解説
「昔よりある景観としての山」と「新たな景観としての建築」を意識しながら設計
日本的な水平線を強調した外観。
歴史的な展示物を見たあと、変わらない風景としての景観(山)を見ることが重要。
・ヒルサイドテラスについて解説
既存の街路樹と道路。
それらを拡張するかのように建物群の間に
ゆっくりと時間をすごせる場所として
小さな広場や街路樹と同じような樹木を配置していった。
「建築をつくる上で景観は大きな遠心力になりうる」
既存の景観を直接的、間接的にコンテクストとして
考え意識してることが、非常にわかりやすく伝わってきました。
さすがジェントルマン槇先生。
□フランコ・プリー二氏
今回は生プリーニを拝もうと本シンポに参加したんだけれど
何をいっているのか…いまいちわかりませんでした。
ということで彼の言葉のザッピング集。
訳者の方も困っていた言葉も多く、彼のいいたいことが正確に伝わってないと思いますが…汗
曰く「空間と空間の間にある境界〜見えないもの、バーチャルなもの、物理的でないもの
これこそが景観だ」
曰く「区域、部屋、間、小さなサイズの集積が小さな建築になり、小さな都市へとなる。スケールが
揃っていることで統一感が生まれる」
曰く「都市には歴史的シンボルの集積がある」
曰く「景観は詩的、絵画的、文学的、物語的に表記することが重要で、物理的現れは重要ではない」
曰く「現代建築は大地との関わりを断ったものが多い」
曰く「場所を生み出すのが建築家の仕事」
曰く「景観と都市は分離したものであってはならない」
□アントニオ・チッテリオ
このヒト、プロダクトばかりやってるのかと思ってたら
大きな建築や都市計画にもずいぶん関わっているみたい。
「記憶に接ぎ木する」
「特にランドマークになるような建物があるときは、場所に関わって設計する」
「既存の建物との連続性を意識する」
ということらしい。
さすが古都の建築家。
彼だけではなく、そういったことが基本的なスタンスであり
行政からの指導なのでしょう。
□隈氏
物質と大地というキーワードをもとに作品を解説。
プリーニ氏の話を引き継いで「大地との接続が重要(ブルーノ・ゼヴィ)」
またF.L.ライトの考えでもある
その地方で産出される素材で建築をつくることが、
その地方独自の建築、風景をつくることになる
というふうな内容を引用されて解説されてました。
これまたとてもわかりやすく、簡潔なお話し。
以上当たり前のような、
それでいてなかなか実践、実現できない話ばかりで
物をつくる前での力の必要性を再認識させられた講演会でした。