そして京都。
これだけ広範囲におよぶ厳しい景観規制をひくアジアの都市ははじめてではないのだろうか。
「*京都らしい景観を継承」=「観光都市宣言」であろうから
それはそれで良しとしなきゃいけない。
日本で、もしかしてアジアでも初めての、
さらに言えばここまで失ってしまった景観を歴史的建築物風の景観に戻そうという意味では
世界でも唯一無二な都市実験が始まるのだ。
100年かかるのか200年かかるのか想像もつかないが、京都でやらなきゃどこでやる。
地方の小さな街よりも、やはり京都が先陣をきることの意欲には賛同する。
ということで京都で仕事をする際にはよろこんでご協力もしましょうし、
現在の日本の建築家がさぼりがちな分野へのチャレンジだろうとも思うし、
この機会をチャンスととらえて、新しい建築言語の開発に迫っていきたい。
確かにシエナは美しかった。
しかしシエナになってしまってはいけない。
ナンチャッテ景観が出来上がると、
それはそれで観光客は増えるかもしれないけど
そこから先の未来はないのではないか。
ただの観光都市ではいけないのではないか。
京都に住む人々の手によって
未来へ向かう仕事や創造行為が生まれでてくるような都市になり
そこで職住一体となった都市づくりとならなければ
衰退をたどるのは目に見えている。
伝統工芸や現代産業に加え、まだみえない未来の産業や人々の営為がこの都市から生まれ
そして都市景観の文脈に加えられ、歴史にきざまれていくことが
現代を生きる僕たちの生きた証しになる。
京都で仕事する建築家は街並みの連続性を意識しながら、
文脈を読み込みながら設計活動を行なわなければならない。
できることならロンドンやパリのように伝統建築と現代技術で表現された建築物が
ほどよく共存できるような都市景観ができるといい。
それにしても本条例も昨秋に素案が最終答申されて以来、
駆け足で今春に条例が議会で可決され、まもなくの施行にいたる予定だ。
9月以降着工の物件についてはすべて本条例の対象になるので
実質的にはもう指導は始まっている。
われわれの事務所でも景観課と協議中の物件がある。
これにも相当な労力と時間が必要になりそうな雰囲気である。
それにしても6月20日施行の建築基準法の大改正といい
今回の条例といい、もっと大きくは国政における様々な法案可決といい
細かで具体的、しかも民意というコンセンサスなしに次々と性急に決まっていく法律の数々。
スピード感があって、お役所のわりによく仕事をしているとも言えるが
現場の対応がおいつかない上に混乱まで呈している状況なのだから、
もう少しじっくりと時間をかけて、民意を反映した慎重な検討をするべきだったのではとも思う。
*なお、わが恩師のひとり広原盛明先生のサイトでも本条例について意見を書かれています。
昨秋の素案時の文章です。一部参照させていただきました
http://www.hirohara.com/diary/2007/0125.htm
http://www.hirohara.com/diary/2007/0130.htm
http://www.hirohara.com/diary/2007/0130.htm