ボーダレスアートミュージアムNO-MAに行ってきました。
現代作家とアウトサイダーの作家(←なんかピンとこないカテゴライズですが)、4組のコラボーレーション。
まったく関わりのない(と思われる)ふたりの作家の作品の偶然の相似性を
「記憶」というテーマをもとに展示。
企画者の気持ち(意図)はわからんではないけど、
ちょっとこちら側では結びつかない…感じもあったりなかったり…
だけど、再びアウトサイダーの作家さんにやられてしまいました。
特に今回は三橋精樹さんという方の鉛筆画。
深く塗り込めた風景をよく見てみると、様々な風景が浮かび上がってきます。
夜桜棗もびっくりの深い深い物語が展開されていました。
以下ボーダレスアートミュージアムNO-MAHPより抜粋
秋の特別企画展「飛行する記憶〜記憶は創造を呼び起こす〜」
■趣 旨
本展は、2人1組の表現者による「記憶」というテーマのコラボレーション展です。
観客は、4組の作家たちの「記憶」作品のコラボレーションに出会い、あなた自身の中にある記憶をたぐり寄せながら、その記憶が呼び起こしてくれるあなたのい新しいイマジネーションにスイッチを入れてみてください。
人間の記憶は刻印されたものの固定的な集積ではなく、私たちが生きているすべての瞬間に刻々と変化する思いや身体感覚と密接に絡み合った「流動的な力」ではないかと感じることがあります。
近年、多くの脳科学者によっても、脳の「記憶」を司る部分と、「創造」を司る部分はとても近い位置にあり、互いに関係し合っていることもわかってきました。
アーティストとして社会に生きる人。障害者として生きながらも独自で孤独な表現を続ける人。
双方のの作品は、この展覧会で出会いますが、重要なことは一つとしてこの世に二つとして同じ脳はありえず、同じ記憶もあり得ないということです。そこでは観覧者自身の記憶も起想をし始め、予期せぬ飛行をし始めるでしょう。古い屋敷の空間でその記憶飛行を存分にお楽しみください。
■出展作家プロフィール
日比野克彦(Hibino Katsuhiko
1958年岐阜市生まれ。1982年頃より国内外で多面的な表現活動を継続中。本展では、二人の知的障害者の作品とのコラボレーションとして新作を制作し「旧吉田邸」の古い町屋を丸ごと一軒使ってのインスタレーションを行う。
高橋和彦(Takahashi Kazuhiko)
1941年生まれ。岩手県盛岡市在住。60歳頃から記憶をたどるように絵を描き始めた。記憶は素朴な空想をはらみ、あり得ない出来事が次々と展開している。
佐久田祐一(Sakuta Yuichi)
1987年生まれ。沖縄県浦添市在住。彼のモチーフは「記憶したい文字」と「記憶したい情景」である。その幸福時間を保持するかのように、大胆で即興的な貼り絵の連作は止むこと無く続いている。
植田正治(Ueda Syoji)
1913 年〜2000年。世界で最も注目された日本人写真家だが、生地(鳥取県境港市)を離れず、山陰の空、地平線をモチーフとし続けた。本展では、シリーズ「童暦」をコロタイププリント制作で展示し、コラボレーションとして両者のモノクローム世界に溢れるイマジネーションの相乗効果をたどる。
三橋精樹(Mitsuhashi Seiki)
1943年生まれ。滋賀県大津市在住、漆黒に塗りこめられた鉛筆画の闇の中には、よく見ると驚くような記憶の情景が描きこまれている。日常の風景、テレビ映像の記憶など様々な線画があぶりだされて見えてくる。
木下晋(Kinoshita Susumu)
1947 年富山市生まれ。鉛筆画による超リアリズムにより、老人や盲目の瞽女など、生の淵をモチーフにした大作で知られる。本展では彼が1980年から継続している小さな日記手帳を作品化したものも展示し、鉛筆画と共に、時を刻む文字としてのコラボレーション世界を提示する。
吉澤健(Yoshizawa Takeshi)
1966年うまれ。東京都中野区在住。彼が書いている大量の小さな記号は、広告看板の文字である。街中を歩きながらそれらの文字を記憶し、紙に書いてはセロテープでがちがちに封印していく。何が彼をそうさせるのか。不可思議なリズムに魅了される。
鈴木治(Suzuki Osamu)
1926〜 2001年。1948年前衛陶芸家グループ「走泥社」の創立メンバーとして、八木一夫らと共に、日本の抽象陶芸の底流を築いた。本店ではダウン症の青年の平面作品と同空間に展示し、二人の創造の想起の根底にある「人が表現をする時の記憶イメージの源」のありかを探索していただく。
舛次崇 (Shyji Takashi)
1974年生まれ。兵庫県西宮市に在住。彼は目の前に置かれた身辺の日常品を見て、そのカタチを直感的に受信して描く。しかし彼の興味はどんどんモチーフそのものからは遠く離れ、カタチの記憶を基に変形し増殖させて、誰も知らない別の世界に遊んでいく。