JIAに入ってさしたる活動もしていなかったので
今年度は住宅部会の世話人をやってみました。
なんでも体験体験…。
ってことで、9月の見学会担当になったので
どうせなら普段は見られない場所がいいと思い植治/小川勝章さん頼みこんで
明治の治兵衛作庭の某庭園を拝見させていただきました。
ボクは以前拝見させていただいたことがあったので
その素晴らしさを体験してましたから、是非多くの建築家のヒトにも
その圧倒的な構想とスケール感を経験してもらいたくて企画をした次第です。
で、以下その際の簡単な報告書。
去る9月4日、京都市左京区鹿ヶ谷において、「植治の非公開庭園」と題した見学会が行われた。京都、特に東山には造園植治による庭が数多く残されている。国定名勝指定庭園である山県有朋邸(無鄰菴)、平安神宮、円山公園、西園寺公望邸(清風荘)、
市田弥一郎邸(對龍山荘)。その他にも数多くの個人邸宅の庭園を手がけた。植治の屋号は現在に至るまで代々「小川治兵衞」の名前を受け継いでいる。とくに7代目の作庭は有名であり、今回の非公開庭園も7代目による邸宅のひとつである。
第一部は非公開庭園を「12代目の治兵衞」を担う小川勝章氏の案内と解説により見学した。大正9年(1920)の完成後から現在に至るまで「造園植治」がお手入れを続けている唯一の庭であり、勝章氏により現在も時を越えた作庭が進行中である。その後、直近にある当代(11代目)小川治兵衞氏作庭による「泉屋博古館 檜林庭園」に場所を移し見学。第二部は懇親会として第二無鄰菴とも称される山縣有朋別邸址の「がんこ二条苑」で行った。第一部JIA会員等20名、第二部は小川勝章氏、JIA会員等12名の参加で盛会のうちに終った。
非公開庭園内には風格ある邸宅や持仏堂、事業発展の歴史資料を展示する展示館がある。本園は一家の心のふるさととして偉大な先人の遺風に接することのできる精神の象徴的な存在にもなっている。現在もグループ各社職員の社内研修や社員教育の利用に広く使われている。
庭園は赤松を中心に秀麗な東山を借景とし、琵琶湖疏水の引き込みを活かした近代的日本庭園である。主玄関前の寄付きにはシンボリックで巨大な松が植えられるが、その脇にある庭への入口はヒューマンスケールに絞られた小さな門である。門をくぐるとアイストップになる松があり周りの木々は適度な高さ、広さ、密度の樹々に囲われる。建築と同じく空間の意味に応じた大小の空間容量のコントロールにより展開する風景の豊かさを生み出している。池の多様な表情を望みながら奥にすすむと、日本で初めてという芝生と大池を前庭に、東山を後庭にした赤松林が広がる。さらに大池の向こうには滝や崩れ石積みによる護岸、また坂を上り下りしながらの見返しが、回遊式庭園の壮観さを盛り上げる。ただ近年の東山は赤松がマツクイムシによる被害を受け山の植生が随分と変化した上に、今年はカシノナガキクイムシによるナラ枯れもあるそうだ。作庭家にとっても憂慮すべき環境に表情を曇らせていたのは自然と対峙しながら日々の仕事をされている方の実感として心に響くものであった。
第二部の懇親会会場の庭園は第一部の庭園よりは敷地は広くなく、借景を望めない立地である。ただし築山は高く池は深くと垂直で立体的な庭である。現在では他の庭師により随分と手が入っており、往時の姿からはほど遠いようである。自然流というか地球の力を大地に呼び起こす手立てが植治の真骨頂のひとつであるようなので、現在の剪定方法や権勢を誇るような数多くの燈籠等は植治の精神からは少し離れたところにあり残念でならないが、そのパノラミックな骨格の力強さはやはり植治なのだと感じた。